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ミニマリストMIの日記

自称ミニマリストである僕が、自分目線で日々思っていることを発信するブログです。

音楽は作る側より聴く側でいい

以前は音楽に依存しまくっていて、音楽を生きがいに人生を生きていた。何か辛い事があれば音楽を聴いて気分をあげ、絶対に音楽で成功して会社辞めてやるなんて意気込んでた時代もあったっけ。

 

高校の頃、部活のあまりの厳しさに、半年ほどで辞めてそれから音楽にハマった。当時、バンドブーム全盛期で、よく学校祭ではバンドで演奏している人達がカッコよくみえた。部活を辞めた自分の空っぽの心に、バンドが入り込んできたのだと思う。

 

当時、僕はラルク黒夢がやたら好きすぎて、とにかく当時販売していたCD、書籍、グッズのほぼすべてを高校生ながら購入してコレクションしていた。どうやってその購入資金を作ってたかはもう覚えてないが、僕が音楽にハマった第一のきっかけは、ラルク黒夢であったことは間違いない。

 

一応、ラルクのギタリストKENが好きだったので、自分もエレキギターを買ってラルク黒夢の曲をコピーしてた。けどバンドは組まなかった。というか当時はSNSスマホもなく、バンド募集は、当時の雑誌「バンドやろうぜ」というに載ってた「メン募」とかいう掲示板。もちろん地方暮らしの自分にとって、すぐメンバーが見つかる状況ではなく、ただただ一人、部屋でギター弾いてた。

 

その後、若干ビジュアル系バンドを追いかける自分がダサいなと気付き始めてきた。その時、ラルクはまだビジュアル系バンド寄りだったけど、もともとビジュアル系だった黒夢が結構パンク寄りになってきて、その影響で今度はハイスタやハスキングビー、あとケムリとかポットショットなど、いわゆるメロコア系に趣味が移っていった。

 

ラルク黒夢への依存から離れると同時に、自分が今まで購入した彼らのグッズやCDを全て売った。完全に全て。今思えば、僕のミニマリスト精神は高校生の頃から備わっていたのかもしれない。余談だが、その時ラルクのCDやグッズを売った相手は地元のラルク好きな女子高生だった。今ではどうやって知り合ったのか、全く覚えていない。

 

話は戻ってメロコア系に興味が行って、とにかく当時のハイスタは好きすぎた。もう全てがカッコよい。僕はその時点でもうメロコア系が全てだった。

 

でもその後、僕の人生を変える、そして音楽の価値観を変える出来事に出会う。当時、同級生だった友達はスケーターでヒップホップやR&Bのブラックミュージックやストリートカルチャーに詳しかった。ある日、僕はその友達の家で初めてライムスターを聴かせてもらい、衝撃を受ける。ちょうど97~98年頃か。ヒップホップの業界でいうと、90年代の音楽、クラブシーンはまさに黄金期であり、僕は2000年に上京したわけだが、もう少し早く生まれていれば東京で90年代の古き良きヒップホップを体感できたんではないかと今でも思ってる。

 

ライムスターを始めて知ったことで、ジャパニーズヒップホップに目覚める。そして今では伝説と言われている(か、わからないが)スケートビデオでCANDY(キャンディ)というビデオがあった。当時はまだDVDがなくVHSのテープ。それも同じ友達に見せてもらったところ、滑ってるスケーターは全員日本人なんだけど、BGMで流れている音楽がまさにヒップホップ!もう、ここで僕は完全にヒップホップにハマっていくわけです。

 

その後、その友達からは様々なブラックミュージックを聴かせてもらった。DJじゃないのにやたら詳しいっていうギャップも良かった。それからやっぱり何かしたいっていう感情が芽生えてきて、ついにDJに目覚める。上京したら絶対にDJ機材買ってクラブで回して成功してやる!って本気で思ってた。

 

そんな感じで高校3年の夏、就職か進学かで進路相談があるわけだけど、僕は本気で音楽で食べていきたいと思って、より多くの音楽と関われる仕事、そしてDJに繋がる仕事って何かって当時高校生の自分なりに考えた結果、それは「レコード店スタッフ」という道だった。いわゆるタワーレコードHMVなどの大型店のスタッフになるということ

 

でも、今と変わらずレコード店スタッフはアルバイトからのスタートで、時給も安い。地方から上京した自分がいきなり時給の安いレコード店スタッフとして働いて生計を立てられるかどうかってのは、当時高校生の自分にも厳しいってのは分かってた。けど、何かそれしかやりたいことが思い浮かばなかったので、その年の夏休み、一人で東京に旅行に行ってタワレコHMVの本社に行った。結局タワレコは会ってくれなかったけど、HMVの人事の人は会ってくれた。アポなしで行ったのに申し訳ない。今でもその時貰った名刺は大切にしている。というか、当時は本当に情報が無く、どうやってレコード店スタッフに入社するかが分からなかったからこその行動でもあった。

 

 

結局レコード店スタッフで働くのは現実的でないということになり、けど上京したかったから都内の一般企業に就職することで無事、上京した。

 

 

始めは地方出身者は会社の寮で2年間生活しなければいけなかった。男3人部屋だったので、自分が好きな音楽もガンガン流せないし、門限も23時だったからクラブなんていけない。とにかくDJや音楽へのあこがれは日に日に募っていくばかり。逆にお金はどんどん貯まっていった。

 

 

その後、無事寮生活を終え、ついに念願の都内での一人暮らしとなった。もう即効DJ機材を揃え、休日はレコードを買いまくり、クラブに入ったり、自宅でDJしたりの日々。レコードばかり買ってたから当然ながら貯金はほぼゼロ。でもまだ若かったし、仕事も何とかなると思って後先考えず音楽を楽しんでた。

 

 

当時はDJブームってのもあって、渋谷の宇田川町はレコード店が集結してて、結構な値段が付けられてた。今はもう音楽はデジタルの時代になって、ネットでは無料で好きな音楽を聴ける時代だが、当時はまだまだネットも普及してなく、情報も店に行かないと得られなかったので、とにかくレコードを買いまくった。正直レコード店くらいしか行ってなく、他の娯楽施設はあまり知らなかった。東京に住んでるくせに。

 

やはり東京に住んでたので、周りは同じ音楽好きな人も多く、比較的簡単に知り合いや繋がりもできた。自分はそれが当たり前と思ってたけど、それは東京だからであって、地方はそうはいかない。まあそんな感じで色々とクラブイベントも実際にやってDJやったりもした。あくまでもそれで金は稼げてないけどね。レコード代は掛かるわ、イベントやるってなるとノルマがあってお客さん呼べないと自分で赤字を払わなきゃいけないわ、あとお酒も結構飲んでたから呑み代もかかるわで、何かだんだんこれってどうなの?ってなってきた。

 

そんな感じで状況後、4~5年くらい会社員やりながらDJやったりクラブで遊んだりの日々だったけど、とにかくレコードを買うことに終わりが見えず、貯金もできず、将来のことも考えてた時期で、このままDJやってても何か意味ないなと考え始めた。結局その後DJは辞めた。もう、DJだけじゃなく、東京の生活にマンネリ化してたってのもあって、生きてること全てに疲れてたってのもあった。

 

そこから数年後、地元の田舎に戻ってしまうわけだが、今度は逆に田舎がヒマすぎて自分が過去に楽しんでた音楽にまた依存したくなってくる。一応地方でも少なからずクラブイベントはやってたりするけど。そんな感じで今度はデジタルでDJやったり、PCで音楽作ってみたりと、また中途半端に手を出してしまう。

 

でも結局ダメだった。出来なかった。そして思った。すでにこの世の中には膨大な素晴らしい音楽が溢れていて、敢えて自分がわざわざ作る意味ってないなと。音楽をただ純粋に聴くことほど、ラクでコスパ最強なものはない。けど、これが作る側、発信する側になると全く別。とにかく膨大な労力が必要となる。

 

 

ミニマリスト的に、禅の考え的に行けば、自分の中では人生はいかにラクに生きるかということをテーマに生きているので、音楽は好きだけど、自分は作る側ではなく、ただ純粋に聴く側でその一瞬一瞬を楽しむだけで幸せだと思った次第である。

 

 

音楽はBGM程度でいいかな。音楽を作る人達は本当スゴイ。尊敬に値する。